慌しい朝の時間、テレビでつけっぱなしのニュースを耳で聞き流していて、信じられないニュースに、娘のお弁当を詰める手を拭き、テレビ画面に見入ってしまった。
アメリカ国内で処方箋の薬が不足している。白血病の患者が薬待ちで放射線治療を受けられずにいるという。
薬が足りない?治療が受けられない?
ARE YOU KIDDING?(冗談でしょ?)キッチンタオルを持ったまま、思わず叫んでしまった。
この国に何が起こっているのだろう?S&Pのアメリカの長期信用格付けがAAAからAA+に格下げになった事実はつい最近のこと。その時、アメリカ人ではない私は多少客観的に「この国もレベルが落ちたものだなあ。」と思いながらも、景気悪いもんね、と納得してしまっていた。日本のバブル時期に二十代から三十代を過ごした私にとって、アメリカのこのところの大恐慌は。日本のバブル崩壊と同じように「風呂敷を広げすぎた結果」と単純に考えていた。
けれど、アメリカと日本では国家のベースが違う。日本には全くと言っていいほど資源が無い。おまけに地理的にも太平洋の極東に位置する島国である。それにひきかえ、アメリカには広大な土地と恵まれた資源、自給自足が可能な農業、牧畜、漁業、飛行機、車産業、そしてマイクロソフトやアップルなどの、世界屈指のソフト産業、全てを手にしていると言っても過言ではない。そのアメリカが大恐慌、失業率二桁、重病を病む患者に薬を提供することもできない。いったいどういうことだろう?
私の知っていた日本やアメリカでは物が過大に溢れ、病院にはもちろん薬が溢れ、逆にお金儲けのために処方過多の問題が起こった話は聞いたことがあっても、不足の事態というのはにわかに信じがたい事実である。東南アジアや東ヨーロッパの発展途上国で薬が不足しているのではない、宇宙に人を運びWINDOWSやiPOHNEを作り出した国である。
アメリカは第三世界になってしまったのだろうか?
キューバ出身の女性が私にこんな話をした。
キューバという国はもう終わりよ。共産主義の独裁者に国を盗まれてしまったから。最初は全然気づかなかったのよ。彼らは狡猾にゆっくりとそれを進めていたから。いくつかの企業が国営化し、学校や病院や銀行が国営化し、隣町の土地が国営化し、気がついたときには、全部国のものになっていた。その段階で個人の資産も個々の自由も全て奪われていたのよ。
彼女のご主人は全てを失う前にそれに気づいて、アメリカに企業を起こし移民としてこの国で再出発をしたという話。
国の規制が増えると流通が滞る。国の承認無しでは売買できなくなるからだ。うちの娘の好物、チキンラーメンが昨年、日本食品のスーパーから突然消えてしまって、店主に問い合わせたら「規制が変わってこちらで作らない限り、輸入できなくなってしまったのよ。」とのこと。ラーメンの一ブランドくらい、大した問題では無い。がっかりする娘に中華三昧を与えて我慢させれば言いだけの話。娘が「そのうちにお蕎麦も買えなくなるかもね。」と蕎麦好きの私の肘を小突いた。ラーメンと蕎麦ねえ。そんな風につぶやきながら店を出る。でも本当にそれだけだろうか?資本主義はひょっとしたら、キューバ女性の話のように、そういう何でも無いところからじわじわ壊されているのかもしれない、なんて考える私は被害妄想だろうか。
今、アメリカの資本主義が崩壊しつつある。民主党のオバマ大統領が極左の大統領だから、と人々は単純に言うけれど、本 当にそれだけだろうか?アメリカ大統領の力は大きい。世界一権力があると言っても過言ではない。でも彼もひとりの人間である。いくらアメリカ国家の指揮権を握っているといっても、ひとりの力で資本主義国家を共産主義国家に変えることはできない。オバマ大統領を選んだのはアメリカ国民である。
民主党はブッシュが国をだめにしたと言い、共和党はオバマ政権が国を潰そうとしていると言う。彼らはひょっとしたら確信犯かもしれない。でも無意識にアメリカという巨大な岩を二億人総出で押して崖から突き落とそうとしているのはアメリカ国民の無意識と無知、ブッシュやオバマを選んだ国民の意識が社会主義化、共産主義化しているのではないだろうか?そしてもしそうだとしたら、どうしてアメリカ国民は自国の原点である「開拓精神」と「資本の自由」を自ら捨て去ろうとしているのだろうか?
私はこの国で選挙権が無い、永住権を持った日本人である。けれど最愛の夫や娘や、働く機会を与えてくれたこの国を日本と同じくらい愛している。そして、アメリカ市民ではないからこそ、この国を外側から見る機会を持つことができる。
ポリティカルサイエンスを学んだわけでもなければ、アメリカの歴史を充分に学んでいない、まして日本生まれ日本育ちで選挙権も無い私がこの国の政治を語る筋合いは無いかもしれない。大きなお世話と言われるかもしれない。けれど自動的にアメリカ人として生まれたわけではなく、自ら選択してこの地で生活しているからこそ見えること、語れることがあるのではないだろうか。専門知識ではなく、日々の生活で体感するこの国のクライシス、そしてまだ充分に存在する開拓精神と資本主義を受け継ぐ人々の生の言葉を、海の向こうの日本人に日本語で語ること、日本で報道されないアメリカの現実を主婦であり、母であり、米国企業の雇用者である私の目から話してもいいんじゃないだろうか。
アメリカがくしゃみをすると日本は風をひくと言われるが、アメリカが破産したら、日本はどうなるのだろう。それは決して対岸の火事で終わる話ではないのだ。